2008年1月 3日

健 高下駄さんに返信がありました!

「まりあ@SSS」さんから「健 高下駄」さんへ、TOEICの点数と「英語力」についての助言です。

あるスーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイ・スクール(SELHi、文部科学省が特別な予算を出して、英語教育に力を入れさせている高校)の実地調査に招かれたことがあります。

おなじように招かれたある人はどうも「試験」の専門家らしく、
「試験は万能ではありません」と宣っていました。

とんでもない、万能どころか、「どんなテストで何が計れるか」が
「テスト学」の永遠のテーマなのです! つまり、テストで何が計れるかさえ、だれもわかっていない!!

ああ・・・

 多読1,000万語でTOEICの点数の向上がなかったことは、本当にショックだったことと拝察致します。  ただし、なぜそんなことになるのか?それは多読で身に付くものと、TOEICが計るものに相違があるからで、不思議なことではありません。4年間、毎日曜日ゴルフをしていたのに、野球が上手くならない、というようなものです。  TOEICは、英語圏で生活する英語力があるかどうかを測定するテストです。文章読解能力はいりませんし、知性も教養も無関係です。  TOEIC630点位でロンドンに留学した娘は、半年ほどで860点になりました。毎日フリーペーパーを読んで、スーパーのバーゲン情報やフリーマーケット情報、劇場のディスカウントチケット、コンサートのフリーチケットなどを探して、少しでも節約しつつ、演劇・美術や音楽にも触れようと生活して、TOEICが上がったと思います。日常生活単語は不自由がなくても、TOEIC800点英単語集に載っているような難しい単語などほとんど知らないし、GRなどはレベル3がやっとでした。総語数10,000語のストーリーを読み切る体力がない。雑誌のような、記事一つがせいぜい1,000語位のものしか気力が保たないのです。主催者が予想する、本来のTOEIC高得点者像とは、こんなものだと思います。

 日本語で生活しながら、勉強でTOEIC点数を上げようとするのは、ゴルフの解説書をたくさん読んでスコアアップを目指すようなものですから、努力しただけ成果が出ないのもあり得ることです。

 多読する本の種類にもよりますが、どうしても文学的なものになります。3個買えば1個おまけ、とか前売り切符は何%引き、とか新規開店サービスは1週間、来店者にはあと1ヶ月有効なディスカウントクーポンをプレゼント、みたいな表現をあまり覚えられないでしょう。こういうのリスニングで良く出ていますよね。決まり文句を知らなくても、そんなに難しいものではないから、自力でその場で理解しながら解答することが可能ですが、慣れている人よりずっと疲労すると思いますし、それが総合的に点数に響くはずです。

 どちらにお住まいか分かりませんが、もし東京にお住まいなら外国人向けにフリーペーパーがありますから、そういうものを読んだり、雑誌などを読む方がTOEIC点数アップには役立つと思います。テレビ番組も、ニュースやトークよりも、CMの英語の方がTOEIC的だと思います。

 もし会社に点数を要求されるから受験したのでなく、力試しとして受験したのなら、TOEICって、英語圏で生活すれば、本なんか読めなくても高得点取れるんだよね、そんなものだと割り切る方法もあります。日本人は、TOEICが「測定するもの」に対する誤解があるように感じます。それで正確な英語力を測れない、という批判もあるのでしょう。TOEICが何を測っているか?を知ってみると、英語で専門書を読んだりレポートが書けたりしても、日常生活英語力が低い人は点数が低くなりますし、結構上手に判定するなぁ、と思えてきますよ。

 多読の成果をテストで測定したかったら、TOEFLの方がずっと相関関係が高いだろうと思うのですが、受験料が高いのが難ですね。


わたしを招いてくれたオックスフォード大学の英語の先生は、TOEFLよりはIELTSの方が信頼できると言っていましたね。IELTSは面接があります。一人の人が面接をして、その録音を別の二人の人が聞いて3人で点数をつけます。したがってとんでもなく人件費がかかるのでしょうね。受験費用はTOEICの3倍です・・・

IELTSの面接官になるための講習を受けると、1日1万5千円もらえるそうです。
面接の技術を獲得するのがそれほど大変、それほど面接官がいないということです。

試験はどんなものでもいかにも権威がありそうに見えますが、
実際にはとんでもないいい加減なものがほとんどです。

そのうちいろいろな試験を材料に、「試験バッシング」をしようかなあ・・・ 外部基準の最たるものとして各種試験を(英検から漢字検定まで)頼りにする人はたくさんいます。

すべて幻です・・・

もっとも、ある入学試験の専門家が「客観的な試験はある」と言い切るのを聞いたことがあります。試験幻想の根強さを思い知らされた事件でした。客観的な試験なんてあるわけはないのです。すべて試験を作る人の主観で決められ、しかも何を計るために試験しているかわかっていない場合がほとんどです。東大の英語の試験だって、何を測定しているのかわからない問題があります。

日本はまさに幻の試験地獄で悶え苦しんでいますね・・・
困ったもんだ・・・