2008年5月22日

脱学習法 ???

脱学習法について「ぴ~ママ」さんが寄せてくださったメールに
さっそく「ひまわり」さんから返信が・・・

ぴ~ママさんのメールを読ませてもらえて、とっても、うれしかったよ?!

「MTHが読めたから、日本語のマジックツリーハウスを借りてきたけど、読めなくて返してしまった」って!

これ、わたしも、やった!まったく同じ!!
日本語では、わたしも、マジックツリーハウス、最後までは、読めないのです・・・


そういうことがあるんですねえ・・・ わたしは経験がない・・・
「日本語の『少年』が読めなかった。その理由は、読書という行為が疲れてしまう。漢字とひらがながあって読みにくい。縦書きが目で追うのに疲れる」、って・・・

漢字とひらがな、縦書き、という点が、わたしの場合にもネックになっているといえるかどうかはよくわからないのですが、とにかく、日本語での読書という行為が「疲れてしまう」というのは、わたしも、一緒。息子がすらすらと最後まで読みおえた日本語の本、借りて読んでも、すぐに疲れてしまって、最後まで読めたためしが、ないのです・・・

とにかくわたし、日本語では、ずっと読書が苦手でした。自分は本が読めないように造られた人間なんじゃないかと、本気で思っていました。


ひゃー! そこまで・・・
そうですか、そういう人は結構いるのかな?
でも多読に出会って、本が読めるようになった。日本語ではまだまだだけど、英語でならたのしく本が読めるように、なったのです。
多読って、すごいなあと、思いました。わたしに新しい世界を、与えてくれた。本が読めるって、こんなにたのしくて、うれしくて、わくわくして、すてきなことなんだ、って・・・。ありがとう、多読、ありがとう、先生、って、いつも思っています。

「だから、日本語の読書が嫌いでも、良い出会いさえすれば、多読は出来るとう事ですね。」

本当に、本当に、そうだと思います。
うれしかったな。ぴ~ママさんのメールが読めて。うれしかった。

「あとは、英語を使って別のことがしたい。つまり英語が出来るようになりたいのではなく、何かしたい為に英語が必要・・という情熱、愛かな?」

ここは、読んで少し、立ち止まった。
わたしには、英語を使って何か別のことがしたいという思いは、あまりないような、気がしたのです。何かしたいために英語が必要?わたしの場合も、そいうも「何か」って、あるかな?って・・・

すこし立ち止まったら、ちょっとみえてきました。
本が、読みたいのです。あたらしい世界がみたいのです。知らなかった世界にふれたいし、いろんな景色をみたいし、それから、本の中で出会ういろいろな人たちが、わたしを支えてくれるから・・・
わたしは、本を通してしか出会うことのできない、そういう、人や、景色や、ほかにも、いろんなものに、これからも、出会いたいし、そのなかのいくつかの出会いは、胸の中でいつのまにか大切にあたためられて、わたしの宝物になっていって・・・
多読に出会えて、英語に出会えて、自分で本が読めるようになって、わたし、とてもしあわせなんです。ここに、愛がある、かな・・・?


あるんでしょう・・・、きっと!

言葉を使って出来ることの中で、読書そのものもとってもすばらしいと思う、
いまさらだけどね。

だれだっけ? 「多読は愛」って言ったのは?