2008年7月 7日

多読の非常識 その壱に「fiona」さんからメール!

この話題の件名「多読の非常識」は実ははじめ「多読の非常識 学校英語の常識」とも
考えたのです。でも、その瞬間にそれをひっくり返して「多読の常識 学校英語の非常識」も件名としてあるな、とも思いました。

結局「多読の非常識」にしましたが、fionaさんがさっそくその辺を突っ込んでくださった・・・

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多読の非常識、「多読三原則」篇、読みました。

「英語」(多読)では非常識であっても、「日本語」(多読)では(多分)常識ですよね。

日本語の読書のことは考えませんでしたが、言われてみればその通りですね。

「辞書を引かない」…私は、日本語の読書では、ほとんど辞書を引きません(たまに引こうと思ったら、まず辞書を捜さないといけない)。少々、わからない言葉があっても、別に内容がわからないわけではないから…「まあ、いいっか。面倒だし」、それに「辞書なんか引いていたら、読んでて楽しくないぞー」。
たいていの方は、そうだと思うんですけど…。違うのかなー?

「わからないところは飛ばす」…これも当たり前。飛ばしたって内容はわかるもん!どうしても気になったら調べることも…あるかなあ(いや、無いような気がする)。
それどころか、場合によったら、(日本語は)「わかるところも(多分)飛ばして」います。どんどん先が読みたい時には、こまかな描写なんかは「適当に飛ばして」読んでいるような。
日本語の場合は、「わかるところも、差し支えのない程度に飛ばす」ですね。(全部読んでいるつもりでも、実は、無意識に飛ばしているような気が…)
これも、たいていの日本人はしていると思う(んですけど)。

「合わなかったら、読むのをやめる」…「おもしろくない」「つまらん」とやめたり、「何かよく分からん→おもしろくない」と止めるのは、日本語の本なら当たり前にやってます。
面白い本があるのに、なにを好き好んで「つまらない本」を「無理やり」読まないといけないのさ!(テストのために、教科書を読むような時は仕方ないけど)
これも、普通のことですよね。

日本語の本を、「少しでも知らない言葉は辞書を引いて」「わからない所は、きちんと全部調べ」「合わない、つまらない…と思ってもできるだけ頑張って読み通す」、なんて、たいていの日本人はしていないと思うのですが(実は、他のみんなしている…わけないよね(してたらどうしよう!!))。
英語の本だって、日本語の本とかわりはないはず(だと思う)。

と言うことは、(英語)多読三原則が「常識」で、学校英語が「非常識」なのでは……でも、こう考えるのが「非常識」!?

はい、そう考えるのが今の世の中では「非常識」なのですよ、多分。

一つの大きな理由は「母語と外国語は違う」という強力な反論です。
日本にいる限り外国語は日常的に必要な物ではない。日本語のように四六時中まわりにあるものではない。だから「辞書を引き、わからないところは徹底的に調べ、読み始めたら貫徹しなければならない!」というわけです。

一分の隙もない鉄壁の論拠?
・・・と、多読が始まるまでは思われたのですね。そして、多読をしている人にはすでに三原則が常識、学校英語が非常識なのですが、
世の中の常識はやはり「まずは語彙ありき、文法ありき」なのです・・・

(さ、fionaさんやわたしが非常識と言われないように
 もっともっとがんばらなくては・・・)

ありがと、fionaさん!
ほかのみなさんの感想、意見もお待ちしています!!