2008年8月 8日

多読はここまで来た! その八 に「Hyde」さんからメール

「多読の力は物語の力」−−なんて、かっこよすぎるかなと思うのは、今だからです。
思いついた当初は「本当かどうかわからん」と思って、用心深く、みなさんのSSSの掲示板への投稿を読んだり、オフ会で話したりして、秘かに検証を続けました。

でも、今のところはどうもやはり多読はただ外国語の表面を扱うだけではないような気がしてなりません。

それに、ふと回りを見ると、「物語」ということを題材にした本や考え方はほかにもあるらしい。そしてそのいずれもが、物語は人の心の奥底に訴えるというようなことを語っているらしい、と気がつきました。

「その八」にさっそくいただいたHydeさんのメールもそういう主旨であるようです。

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暑中お見舞い申し上げます。

 『多読はここまで来た! その八 「物語の力」仮説』を読み、まさにそのとおりだと思ってメールを書いています。

 この9月で多読暦1年となりますが、「物語の力」ではないか、とうすうす感じるようになっていた今年の2月か3月頃、偶然、図書館で「物語が生きる力を育てる 」(脇 明子著 岩波書店)を手にとる機会があり、まさにこのことを確信しました。岩波の解説にもありますが、

「…神話や昔話のもつ不思議な力について,また,ゆたかな感情体験のできる物語がいかに,子どもの感性や知性,つまり人生を切り開いていくための「生きる力」を育てていくか,具体例をあげながら平明に説く・・・」

 たまたまそれが英語で書かれた物語を、わたしたちは多読で出会っているにすぎないのであって、これがもちろんポルトガル語でもアラビア語でも同じでしょう。まして、神話や昔話は、文明以前のものがありますから、もっともシンプルで人の心にストレートに入ってきて、私たちの心に焼きつきますよね。
 先日、児童書コーナーで日本語で書かれた「こども世界の文学シリーズ」の前に立った私は、そのなかで、英語の物語はむしろ世界のなかではその一部に過ぎないことをあらためて悟りました。

 「物語」は「おもしろい」から人から人に伝えられ、人の記憶に残っていきます。その物語の流れのなかで、「言葉の意味」や「文法」を人は本来そんなことは認識しないで捉えているはずです。

 だから、ブツ切りの「言葉の意味」や「文法」だけを集めて、アレコレ言ったところで、大人にとっても子どもにとっても、色のない記号もしくは単なる情報としてしか心身を通過しなくなる。

 ただ、どの言語を選ぶかによって、物語はまったく異なるものになりますよね。言葉は「風土」や時代の「感性」をともなって、物語になっていきますから・・・。
 そして何よりおもしろいのは、ひとがつくった「物語」にわたしたちが感動してそれを記憶していくという人間の行為と歴史ですよね。

 そして多読は、物語をつうじて、子どもだけでなく、大人の心をも揺り動かし、それが自然に感動と共に記憶に残り、後の世代にも伝えたいと思う、時間を超えたものにつながっていく不思議さ。

 多読によって、わたしたちは「人と言葉」の根源、すなわち「物語」に戻ったという、古くて新しい事実にもどったのです。

 ・・・これは前々から先生にお話しようと、と思っていたので、今回、まさに良きタイミングと思いメールを書きました。

 P.S. 話はかわりますが、先週、XXX市の隣りにあるXXX町を訪れる機会があり、そこの中学校で英語を教える先生に偶然私が多読の話をしたところ、突然目が輝き、「これから中学で導入したい」とおっしゃっていました。私はすぐに先生にメールを出してみたらいいと言いましたが、自分の考えがまとまったらメールを出したい、とおっしゃっていました。「とにかくORTはいいいから、こどもたちにも読んでほしい」、「ネイティブの英語の先生に学校で来てもらうより、まず多読をはじめた方がいい」とおっしゃていました


脇さんという方は神話や伝承の力のことを頭に置いているようですね。なるほど・・・

多読は外国語の学習というよりも、もっと深いところに直接訴える道のような、
そんな気がしていますが、その深いあたりというのは神話や伝承の源のお隣り?

いやいや、そういうたしかめられないことについては語りますまい。
わたしはただたくさんの人から多読の様子を聞いて、そこから「どうもこういうこと
らしい」というところに集中することにします。

追伸 Hydeさん、その中学校の先生に、ご連絡を心待ちにしているとお伝えください。
XXX市にはちょうどよいお人が住んでいます。ぜひご紹介したいですね。