2008年10月12日

「マコマコ」さんの記事に補足

突然カテゴリーを雑談に変えます・・・

「多読と鈴木メソード」の記事の中で、マコマコさんは


酒井邦秀氏もタイトル・肩書きに無頓着のようです。もう数年で定年ご退職である筈ですが、今もって准教授(助教授)です。

と書いています。

そういえばわたしの肩書きのことはいままでだれも一度も話題にしなかったな、と気がつきました。これはチャンスだから一言書いておこうと・・・ 

ひょっとしてみなさん、聞いてはいけないと気を遣わせたかな、と・・・?

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わたしが教授にならない、またはなれないのは、一つにはわたしが選んだことであり、もう一方ではたとえ望んでも多分なれないのです。

  (うー・・・ 長くなりそう・・・)

・・・と書き出したのはもう3、4日前のこと。どうしても長くなりそうなのでためらっておりましたが、ま、とにかく書き出して、時間が来たらやめて、続きを書きたかったらまたいるかかくことにしようと・・・ いつものいい加減な方針ですね。

で、わたしが教授になるまいと考えたのは、大学に就職する前からのことです。
当時大学院におりまして、大学紛争は終わったばかりというころ。わたしは全共闘とも、全学連とも関係なく、一人で日和見を決め込んでおりました。全共闘の「自己否定」とか、「とにかくまず壊すんだ」というところが気に入らなくて、遠巻きに見ていました。

わたしはその後よく「元全共闘でしょ?」と言われましたが、そこから教授になることをやめにしたわけではないことをまず書いておきます。

最終的に(?)教授になんかならないぞと決めたのは30歳で電気通信大学に就職して3、4年たった頃だったと思います。大学の中がわかってきて、また学会などにも出ていわゆる学会発表や論文のいい加減さがわかって、やはりあんないい加減なグループの一員になるのはまっぴらだと、それまでの思いが固まったような記憶があります。

ま、とにかく、そのころわたしは論文は書かないことにしたのでした。論文がなければ教授に昇進されるはずがないと考えたのでした。この作戦(?)は見事に功を奏して、2年くらいまでにまたまた「酒井を教授に」という話が持ち上がったときに、結局ちゃんとした論文がない(「どうして英語が使えない?」などの本は業績とされなかったようです。それは当然のことです)ので、沙汰やみになりました。

そろそろ眠くなってきましたが、自分でも驚くのは30年以上前に決めた常識外れの決意が、いまだに少しも揺らいでいないことです。もちろん成長がないのだとも言えますが、逆に「老成していた」とも言えませんか? 

  (わたしとしては30代前半で「見るべきほどのものは見つ」
   だったと思いたいのですが・・・)

普通大学に就職して教授にならないなどといことは考えられない、非常識なことですが、わたしには実に自然なことでした。元同僚の西尾幹二さんがぼくが教授になりたくないと言ったのに対して、「それは自然ではない」とのたもうたのを思い出します。大学に就職したら教授になるのが自然とは一度も考えたことがありません。好きなようにすればいいのではないかと思いますけどねえ・・・

きょうはここまで! この件について、なにか質問があればぜひぜひメールをお寄せください。自分のことはあまり語りたくありませんが、永年みなさんに気を遣わせたかもしれないので、罪滅ぼしにこの際一挙公開!といきましょう。