2008年10月22日

[多読 挫折]

「多読と挫折」これはおおーきな問題です。

(みなさんのメールを期待したいので、ブログトップに上げます。
  同時に「寝太郎」さんのメールもうすぐ次に置きます。
  また、ほかのみなさんからいただいたメールは明日の午後以降、
  ブログに載せます。今晩は「さよなら英文法!」の最終校正なの
  で、これで、寝ます。 おやすみグー・・・)

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多読をはじめた人のうち、英語の読書を楽しむようになる人はどのくらいの割合なのでしょう?

成功率といってもいい、挫折率といってもいいのですが、このことは6年前からずっとわたしの大きな関心でした。

その後、多読からこども式へと展開して「母語とおなじやり方で外国語を身につける」ことがわたしのテーマになると、この問題はいよいよ大きな意味を持つようになりました。つまり・・・

     母語の獲得はほとんど挫折した人がいない!

そうすると、「こどもの母語獲得をまねる」という以上、めざすは「挫折する人のほとんどいない道」ことになります。まあ、とんでもない妄想ですね。ほんとにそんなことが可能なのかどうか・・・まさにこのサイトの研究課題そのものです。

というわけで、「挫折」の研究はこども式の将来に非常に大事な役割を果たすはずなのですね。

で、ちょっと前までは「挫折研究」はほとんど不可能だった・・・ というのは、うまく行った人はSSSの掲示板やこども式の掲示板に報告してくれますが、うまく行かなかった人は報告しないと考えられます。

・・・したがって、わたしは「よい知らせ」しか聞かないことになる。

数年前に、その「事実の半分しか耳にしていない状態」に業を煮やして、わたしは古川さんにお願いして、SEG Bookshopで本を購入した人たちにアンケートをお願いしました。一言でいえば、「その後多読を楽しんでいらっしゃいますか?」とたずねたわけです。その回答を見ても、わたしには挫折した人の「像」は見えてきませんでした。(アンケートの項目がよくなかったのか、質問の仕方が適切ではなかったのか、答えてくださった人たちになんらかの傾向があったのか? それともそのすべてだったのか?)

ところがその後少しずつ「挫折」した人たちの「実像」を見ることができるようになってきた!

一つには、多読−中断−再開 という経過をたどった人が掲示板に再登場するようになって、「なぜ中断(停滞)したか」を語ってくれることがあります。しかしそういう例はそう多くはありません。

もう一つ、大きな進歩(?)はブログです。多読をブログに記録している人たちは少なくありません。そこでわたしはときどきある種の言葉を並べて、ブログの検索をします。

もちろん苦渋のブログを「覗き見る」のはもうしわけない気がするのですが、そこは「研究のため」ということで、そっと読ませていただきます・・・

  (人倫に悖る?)

で、わたしのいまのところの観察では次のようなことが言えそうです。

  * 多読を「学習 and/or 試験」と結びつける度合いが強いと、
    途中でやめたり、効果を実感しにくい傾向があるようだ。

これは「学習 and/or 試験を目的」(つまり学習目的または試験目的または両方を目的)とすると、どうしても自分に「ノルマ」を課すことになり、参考書や単語集や問題集や語数やYLレベルで自分を計ってしまうからだと、わたしは思います。

  (これを言い換えて 多読の進度を数字で計ろうとすると言ってもいいかもしれません。

もちろん多読しながら進み具合の目安として試験を受ける人もいます。
試験を受ける人を全部一からげにしているわけではありません。試験を受けつつ英語の読書を楽しんでいる人もいっぱい知っています。

けれどもそれは相当な熟達者、悟りを開いた人で、一般には読書しながらいちいち自分を計っていては楽しさは半減するでしょうね。最初のうちは語数が積み上がる、レベルが上がることは楽しいことでしょう。けれども最初の目新しさが過ぎると、自分を一直線の数直線上に置くことで楽しさが減る。そうすると、続ける気も減少する・・・ 多読は挫折となるのだと思われます。

 爆弾発言です:「継続は力なり」という言葉はあまりよい言葉ではないのではないでしょうか? この言葉を意識しているとどうしても「続ける」ことに大きな意味が置かれてしまいます。「続けなきゃ、続けなきゃ! それなのにきょうも英語学習をやらなかった・・・」と毎日自分を責めていたら、そりゃ嫌になるでしょう。「継続は力なり」を信じて、うまく行ったことがあるかどうか、ぜひ自分の胸に聞いてみましょう。継続は力なり、よりは「楽しいから続く」の方がはるかに「成功」する可能性が高くなると思われます。楽しければ、「続けよう」なんて思わなくたって続いてしまいます。

     自分に鞭打つのはやめよー!

もっとも自分に鞭打って、苦しさ辛さを楽しむ人もいるようなので、そういう人は
「辛い学習をしている自分が好き!」なのでしょう。「言葉の獲得」を目的にはしていないわけで、わたしが口を出すのはお門違いですね。

この話題ではまだまだ書きたいことがあります。折に触れて書いていきます。「レールをはずれるために」とも関連することですしね。

ではでは、くれぐれも自分を追い詰めないように願います。
解放してやってくださいな!