2008年10月26日

ORT蘊蓄オフについて

蘊蓄オフについては批判があります。すでに何人かの人から、「酒井さん、あれはどうよ?」と文句を言われております。

しかも次回はORTで蘊蓄!? 

蘊蓄オフ会の秘めたる目的についてこの際お話しします。きっかけは一通のメールでした・・・

*******************************

メールの主は最初に書いた「何人かの人」の一人で、以前から蘊蓄オフは納得いかないとわたしに文句を言っていました。おなじ感想を持つ人はきっとほかにもかなりの数いらっしゃるだろうと思います。

で・・・

レールをはずれるために −に− (長文です)
http://blog.tadoku.org/?eid=721717
>> > > 次回の蘊蓄オフはORT大会ですが、「やさしい」英語の大切さをたしかめるのに
ちょうどいい機会になるかなと期待しています。これも独眼龍さんだったかなあ、
>> > >
>> > >   上のレベルは話がおもしろい。
>> > >   やさしいレベルは英語がおもしろい。
>> > >
>> > > だったかな? だからといってやさしい本を無理して読むことはないんですよ。
パピイさんがいみじくも言っていましたが、ORTこそ蘊蓄に相応しいと。たくさん読
んだからこそORTで蘊蓄が語れると。やさしい本には何百万語も読んでから戻ったっ
てちっともかまわないのです。
>> > >
>> > > そこで、多読の進み具合を語るには、語数だけではなく、冊数も大事、というわ
けです。

たぶん、ここが受け入れられなかったのです。

でもそれは、ここに引用されている独眼龍さんや、パピイさんをどうこう言いたい
わけではありません。
これらを引用し、このような構成にした酒井先生にもの申す、なのです。


  (みなさん、多読はこういう「もの申す」で成立しています。
   わたしは多読の権威でもなんでもなくて、いまもみなさんから日々
  「学んで」います。それはわたしの発言を読んでくださる方はわかるはず・・・
   わかるはずならわざわざこんなことを言わなくてもいいハズなんですが、
   「権威」にされてしまうのではないかという常に不安があるのです。)
・やさしいレベルは英語がおもしろい
・たくさん読んだからこそORTで蘊蓄が語れる

こういう気持ちを、実践者の声として単独で聞く分には、
とても心躍るというか、お二人のいままでの道のりを感じられてワクワクします。
でも、こういう話しの流れで、レールをはずれるために、とか、
「多読の進み具合を語るには、語数だけではなく、冊数も大事」というのは、
なんだか釈然としないのです。


冊数も大事というのは、いわば「やさしい本をたくさん読みましょう!」ということ。
だから釈然としない理由がよくわからないのだけれど・・・
率直に聞きますが、酒井先生は、多読を実践している人たちに対して、
やさしいレベルは英語がおもしろく、たくさん読んで蘊蓄を知る、
というような「意識した理解」を求めているのでしょうか。

はは、なるほど、わかりました。「意識した理解」は求めていません!

どうもここでのキーワードは unlearn 「覚えたことをきれいさっぱり忘れる」ことのような気がしてきました。

こういう理解はじゃっかん被害妄想が入っているのは分かります。
読み違い含んで、感情的になっているのも感じています。
でも、レールをはずれるために、語数やYLなどに囚われずに、という話しで、
こういう引き合いにちょっとガッカリしたんです。

・・・こんなことをブログの記事を読んだ当時は思ったのでした。


ありゃりゃ、いまは「ガッカリ」してないんですね?
でもいまの気持ちは、上にも書いたように、
じゃっかん偏った被害妄想、誇大解釈っぽい感じがします。
酒井先生の言っていることを過剰に受け止めているというか、何というか。

と、言いつつ、酒井先生に疑問を投げかけます。

酒井先生の考える「蘊蓄」って何ですか?
酒井先生の感じる「やさしい英語がおもしろい」という感情ってどんなですか?

この部分が明確にならないまま、このような話しの流れになると、
やさしい本を手にして、この語の役割は?この語の意味は?と、
結局1語にこだわることになりませんか?
そうなったら、語数やYLより、よっぽどタチが悪いと思います。
(さらには1対1の和訳だったりしたら・・・)


まったくその通りです。

そこで、蘊蓄オフ会の参加条件を思い出してくださいな。
(細かいことは忘れた!)たしか、相当多読が進んでいる人という条件でした。

多読をはじめたばかりの人はORTで蘊蓄なんていうことは考えなくていいです。
考えたらひじょーに深刻な害があるでしょうね。

でも、多読が相当進んで、「いい加減な読み方」がフツーにできるようになった人には、文法や辞書から得た知識を洗い流す機会になると思います。つまり unlearn ですね。

  (これは世の語彙増強派や文法命の人たちには到底わからない説明だろうなあ。
   そういう人たち向けの説明は次の記事で書きます。)

また、多読に出会う前に、いろいろな形で英語に触れてきた人だと、
・その当時に触れたいたものと、生の英語との差
・その当時に触れていたものから、さらなる広がり
といったように「自分との比較」がしやすいと思います。

その通りです。
でも、「さらなる広がり」はあまり期待できないでしょうね。「かつて辞書と文法で触れていたものはたいしたもんではなくて、その上に「何かが広がる」ことは考えにくい・・・
けれども多読に出会う前に、あまり英語に触れてきていなかった人は、
こういった比較や、広がりを感じにくいと思います。
でもそれは、何かが足りないのではなく、そのまま受け入れるからです。
そのまま吸収するからです。

ここが「ある人」及び「ゼロからはじめた人たち」のすごいところですね!

次を読んでください。英語の先生方は仰天すると思います。

例えば、講演会などで酒井先生が素材にしている、
ORTの「a Cat in the Tree」のお話しもそうだと思います。
まず会場のみなさんに表紙を見てもらい、感想を聞きますよね?
そして一部の人たちから「on the tree じゃ、ないんだ」という言葉が出る。
わたしのように英語に触れる機会が少なかった場合だと、
ここではじめて「in the Tree ってこんなにも事件(?)なんだ」と
思うわけです。事件、は大げさですけど。

いや、ほとんどの人にとっては大事件です。
でも、英語に触れる機会が多かった方は、
ここで「in the tree」に衝撃を受けるんですよね。
そして「inは・・・、onは・・・」と、いままでの自分の感覚と「比較」し、
何かを「発見」する。そしてそれを言葉にする。(←これが蘊蓄?)

こんな感じなら、そのまま受け入れ、楽しんでいる人にしてみたら、
やさしい英語はおもしろいなんて感じないでいいじゃないですか。
ORT読んで、蘊蓄語れなくたっていいじゃないですか。
だって、「母語とおなじやり方で外国語を身につけ」ている最中なら、
意識することもなく、「それが当たり前なこと」なんですから。
「なんで in the Tree なのか?」の説明ができなくちゃダメですか?
「in と on の違い」を説明できないとダメですか?
(そんなの一目瞭然じゃん。言葉が違うもん。とか言ってみたりして)


その通りです。幸いにして学校英語に触れる機会の少なかった人は、inとonの違いなんて、説明できなくていいんです!

でもね、世の中には不幸な人がひじょーに多いのです。そういう人たちは幸いな人とちがって、どこかで過去の蓄積を捨てなきゃならない。(それがun蓄積・・・? お粗末様でした)

蘊蓄オフは実はそうやって、学校英語をかなりやって、その後多読で生の英語に触れた人たちが、自分の「成長」(リセットでも、幼児返りでもいい)をたしかめるための機会だとわたしは思います。

だからといって「発見すること」を否定するつもりはありません。
「勘違い学校英語」とか「間違いだらけの英文法」っていうジャンルだったり、
いままでの自分を洗い流す、という意味では意義があると思います。
(ここが、わたし自身自分に囚われ、前回までは気持ちが向かなかった部分です)

その通りです。

幸いにして「そんなの一目瞭然じゃん。言葉が違うもん。」と言える人は(少々言い方が誤解を招く可能性がありますが)蘊蓄オフなど必要ない、蘊蓄オフが洗い流すはずの垢がたまっていないのだから・・・と言えます。

(「前回までは」と書いてあるのは、「ある人」とわたしの間で何度か蘊蓄オフの是非について侃々諤々の議論があったからです。そういう議論ができることがわたしはうれしい!)

なんだか繰り返し同じことばっかり言ってしまいましたが、
要はこの境界線がわかりにくいことで、余計な不安をかきたててしまったり、
レールを感じさせてしまうのではないか、ということです。

勝手なことばかり書いてしまってすみません。

こういうことを言ってしまうこと自体が、
「言葉オタク」のような気がしてきました・・。
(他のみんなは何とも思わずにスルーしちゃうのかも・・)

ではでは!


「ある人」のおかげで、蘊蓄オフについてみなさんが持っているに違いない「釈然としない気持ち」に対して、すこし説明ができました。

わたしは蘊蓄オフには大きく二つの目的があると考えています。

一つは、辞書と文法と学校英語で得た知識をunlearnすること。
もう一つは、unlearnしながら言葉オタクの好奇心を満たすこと。

したがって、余計な知識のない人にはunlearnの必要はないわけですが、
unlearnしなければならないゴミを溜めこんだわたしとして、汚れない心が受け取ったORTがどんなものなのか、聞きたい気もする・・・

今回の「ある人」がORT蘊蓄に出てくれたら、みなさんのunlearnが一気に進むような気がしますが・・・ もちろん気が進まないのに無理にとは言いません!

「ある人」、ありがとー!