2008年11月27日

英語を英語を通して獲得すること −− 多読の試練

多読はここまで非常に幸運なスタートを切ったと言っていいでしょう。
こんな幸運はずっと続くわけはないと思っていましたが、やはりその通りで、
このところの多読の広がりはむしろ逆風といっていいと思います、わたしとしては。

で、そう思う理由の一つは「さかいの本の掲示板」の「emmie」さんの投稿なのです・・・

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先生の新しい本が読めるうれしさを、 先日ランチの場でお話したことを含めて、 ’やっぱり私は、なーんもわかっていなかった’ということがわかった話、 としてみました。 (うれしいというのは本心ですが、内容については、 関心ないしー私の理解を超えてるしーが満載で、 つまみ食いが精一杯でした。悪しからず・・・)
それは気にしないでください。というより、つまみ食いだけでわたしは感激です。
図に書いて説明したいところもあるんですが、 (和訳を知った人と、知らない子どもが積み上げる、言葉の世界の違いとか) 文章にすると、長くなりました。
こういう投稿はいままでなかったのです。だからとても参考になりました。
:<  ひらめく前の顔 XD  あは!体験後の顔、つけてみました。 -------------------------------------

:<  ある程度多読をしてみて、”英語は英語のまま”が少し掴めたかもしれない。
と同時に、一番肝心なあたりは、掴めていないのかも、という気もしていた。
酒井先生が、学校の授業は聞かない、適当に、とアドバイスされるたびに、
そこまで断言してしまっていいのかなあと心配だった。
多読・多聴で入るとしても、どこかで構文なり暗記して、整理しないと、
ものにならないでしょう〜と。


これね、気がついていましたよ。わたしが「学校の英語の授業はおつきあい程度に」と
講演で話すと、決まってemmieさんはちょっと眉を顰めていらした・・・
XD  それがそれが♪
ここに来て(別に先生の本に合わせたってわけじゃないんですけど)
閃いてしまった!
先生より過激になったかも、ドーピングもいやだ。多読・多聴だけがいい。

ここ。ここはね、emmieさん、非常に他の人にはわかりにくいところだと思うよ。
そこが多読の困ったところで(the trouble with tadoku)体験してみなければ
納得できない・・・

ドーピングもいやだなんて、眉を顰めていたemmieさんからは考えられない!
つまり、いまのemmieさんと眉を顰めていた昔のemmieさんは理解できるのだろうか?

:<  娘が英文を日本語にするとき、直訳は無理としても、だいたいの意味で日本語になおすことすら、
時間がかかることが不思議だった。

XD  これって、英語を日本語の理解の範疇では捉えていない、
どこまでも、英語のままのイメージで理解しているから、
そのイメージを日本語に直すという作業が必要になって時間がかかるみたい。


そうだと思います。いや、わたしにもリボンさんの頭の中でどれほどの作業が必要なのか、まったく想像できません。けれども、リボンさんがなかなか日本語に直せないという話を聞いて、わたしはわたしが考えていた「英語−日本語」の距離はまだまだ甘かったと思いました。(やはり二つはつながっていない! だから越えるのに時間がかかる)
:<  絵本を読み聞かせするときに、子どもがこれはどういう意味って聞くようなら、
多少は日本語で意味を教えてしまっても、問題ないだろう。
使用頻度の低い単語なら、日本語で暗記でもいいんじゃないかと安易に考えていた。

XD  一つの英単語に一つの日本語をあてがうことや、
和訳することで、わかったと感じることができる、という感覚を覚えてしまうと、
英語のもつ本来の意味をつかもうとするのではなく、日本語の範疇にあてはめること、
それを理解だと考えてしまう。


多読で有名なある塾では、多読するこどもたちにもっとも「基本的な英単語」一つに一つの日本語訳を覚えさせています。emmieさんのこの言葉を読んで、やはりそういうことでは外国語は吸収できないということは非常に納得するのがむずかしいことなのだとわかりました。(これがemmieさんの掲示板への投稿をブログで採り上げる理由です。)
ORTを日本語の助けなしに楽しむ子どもは、
look at me なら、look at me のまーんま!絵から読み取った状況といっしょに、脳に刻むんだ。
look,at,me のそれぞれの単語は意識しないんだろう。

上記の塾ではそれぞれの単語を意識させるわけです。中学1年生に対して・・・
わたしたちがやっていることの前にどれほど大きな壁がたちはだかっているか、
見ないようにした方がいいくらいの高さの壁です。
文字、音声、絵、映像を頼りに取り込んでいくと、
出会った言葉が、最初はかすかな色でしかないのだけれど、
何度か同じ言葉に出会うたびに、それを濃い色にしていける。
最後に出来上がる色は、一つの日本語をあてがったものとは、まったく違った色になる。
和訳に頼れば、こういう過程を一切省くから、結局のところ、
染み込み度が足りなくって、使える語彙にならない。

emmieさん、そういうわけです。
とてもうまく表現してくれました。

何度かおなじ言葉に出会うたびに濃い色になっていく・・・

このゆっくりした作業に耐えられないのですよ。点数だけ求める人たちは。(「津軽馬鹿塗り」を思い出します。実は長く持つ美しい塗りにはそれが一番早いのでしょう。)

:<  子どもが英語圏に住んだとき、話し出すまでに時間がかかるらしい。
娘は、日本で多読してるだけ、話す練習やっていないのだから、話すことは期待できないだろう。
会話のためには、実用英会話みたいな本を聞いて暗記する必要があるだろう。

XD  文法知識で単語を組み立てれば、用件を伝えるぐらいの話はできる。
でも、子どもはそんなことを知らない。
だから、思いが伝えられるだけの、言葉が溜まるまでは、しゃべらない。
ところが、ある程度たまれば、単語のつながりなんかではなくて、
キモチの入った一塊の言葉が、すんなり出る。

それと同じようなことが、多読である程度英語をためた娘にもあてはまるのか。
幼稚な、間違いだらけの英語で、
一言、二言話せるっていう、超低レベルの話なんだけれど、
英語で話すときに、単語を並べている感じがそこにはない、塊で気持ちを伴った言葉がでている。
(本にあったように)、緊張や逡巡は微塵も感じられない・・・(と、先生に教えてもらうまで、
気づかない、マヌケ母さん)。英語がしゃべれると思っている(マジらしいところが、おまえーあほちゃう?)
話すことも、多読・多聴だけでOKなんだ。


そういうわけです。するする、さらさらと出てくる。
「のんた」さんはまだするするとはいかないのかな?
でも、もっと溜まればだんだんするするになってくるよ!
そして、「あれ、どうしてこんな言い方知ってるんだろう?」ということが起きる!
オーラルコミュニケーション?とかいってがんばったところで、
英語が溜まってもいない、話したい気持ちもないところで、
搾り出そうなんてしょせん無理な話。

:<  1年前、英語を書いてみようと思ったとき、
英文を書くとは、単語を組み立てるもの、
型、構文通りの英文を書くことだと考えていた。
だから、たくさんの構文を覚えれば、いろんな英文が書けるはず。


このこと、わたしはemmieさんに言ったのだけれど、覚えているかな? きちんとしすぎてるってね。
XD  ところが、各国の人が英語で交流しているサイトなどを読んでいると、
いろんな国の人が書く英語は、バラエティー豊か。
ところが日本人の書く英語は、間違いが少なく、整っていて、優等生なんだけれど、
のっぺらぼうな、顔が見えてこないものが多い。

これをね、その人たちにわかってほしいのですけどね。
頭を切り換えて「正しくなくてもいいんだ!」っていう書き方になれば、すぐに気持ちの通じる言葉を書けるはずの人たちなのに・・・
学校英語は、正しく書かなきゃ、相手にされない。
ふさわしいとされる同じ構文を、タンマリ仕込まれる。
だから、でてくる文章は、金太郎飴。
それに、いざ文を書こうとすると、思考がその型を呼び起こしてしまい、
考えを素直に出そうとしても、思考が型に縛られ、思ったように書けない。
(これが、先生がイギリス?で論文?を書くときに経験されたということになるのか)

いや、冷や汗です。その通りです。わたしが修士論文を書くときに七転八倒したのは、いわゆる「英作文の公式」で文章を書いていたからです。わたしが学校英語に?を感じた最初のエピソードです。
:<  1年前に英語を書き出したときには、2,3行書くのもにも苦労した。
外国の人からメールをもらっても、ちゃんとした文章を書こうとしては、
返事に時間がかかってしまった。

XD  メールって、ぽんぽんやり取りしてこそ、コミュニケーションしてるなあって感じられる。
相手にわかりやすく、間違いを少なく、伝わるように書こうとするあまり、
返事を出すのが、一日おくれ、二日たち・・・snail mailになってしまったら、
ぜんぜん話が盛り上がらないー


そう! ぽんぽんやりとりしてこそでしょ! (それをfluencyとわたしは呼びましたが、いまは呼ばないようにしています。)
仕事で使う文章を書きたいわけじゃないんだから、こうなったら見栄を捨て、
整っていなくても、多少伝わらないことがあっても、ササッと書くことを目指そう。
そう気持ちを入れ替えてみると、よくて小学校1、2年生になっちゃうんだけれど、
はるかにストレスなく、ドンドン言葉が出てくる。
次の日にメールが返せる。そしたらまた次の日に返事が来てとはずみがでる。

どのくらい書いたら、小学校3、4年生になるか、emmieさん、ぜひぜひ冷静客観的な自己観察をお願いします。
フリーライティングのことを知って、さらに縛りがゆるむと、
1年前と比べたら、これって同じ人間かいな?というぐらい、長いメールが書けるようになった。
(母語の言語能力が低いから、幼稚な英語でも満足できるんだと思う。)

つまり、書くこともfluency over accuracyなんだ!

こんなことで、英語力に変化があったわけでは、まーったくないのですが、
やけに吹っ切れて、英語するのが、楽しくって、しょうがない♪


最後の一文がどうしようもなく(?)多読的だとわたしは思います。
この解放感をぜひわたしの授業の学生にも味わってほしいと思っています。
(すこし感じている学生もいるのですよ、どうも!)

最後に、掲示板のスレッドにあったemmieさんの言葉をもう一つ。

私は、こども式のメッセージって、キモチに素直になる、
それだけだと思ってます。でも、そこが、難しい!ですよね?

そういう風に表現をしたことはなかったけれど、「キモチに素直に!」っていうのはたしかにこども式いや「をさなごのやうに」のメッセージですね。

で、最後の最後に・・・

いちばんいい見本を毎日見ているemmieさんにして、「英語は英語を通して」が
すとんと腑に落ちるまで、何年もかかったのですね・・・

決してemmieさんのことを責めているのではありません。というのは、わたし自身は何十年もかかっているのでね。

emmieさんの投稿にはじまるスレッドでわたしがいちばん痛烈だったのは、
自分がはじめたことの enormity つまり大きさです。

がんばります・・・ だから、みなさんもね!